真珠湾攻撃から75年
昨日の朝、いつものテレビニュースのあと二時間弱の真珠湾攻撃から75周年式典の番組を見た。
不順な天候の続くハワイだが、昨日は晴れていた。75年前のこの日、晴れた日曜の朝午前7時55分、丁度この時間に、零戦が飛来して真珠湾を攻撃したのだ。我が家から見えるオアフ島西のワイアナエ山脈方向に零戦が見えるような気がしてしまう。
テレビで見る式典、その最初に湾内を巡航する軍艦の汽笛が我が家の部屋の中で直接聞こえる。式典会場上を低空飛行する戦闘機4機の爆音が我が家の上空を通過する。真珠湾が近いことを実感する。
75年は長い、真珠湾の生き残りの軍人はすでに90歳を超えている。しかし、自分が60歳を超えて戦争を知らない世代ではあるが、この真珠湾攻撃も私が生まれるわずか13年前だったと思うとあの大戦が遠いことでは無かったのだと実感する。
真珠湾から数マイルの高台にある我が家の付近はその当時どうだったのだろう?真珠湾攻撃のすべてが目の前に広がり、爆音も人の叫びも届いていたのではと思うと背筋が凍る。
いまさらながら、かつて敵国だったこの地、奇襲攻撃を仕掛けたこの地に住んでいることを思う。太平洋軍司令官ハリスは「かつての敵が最も親密な友人になった」と演説していたが、その関係が継続されることを願う。