座れなければ、寝ていましょう!

 キモラジゴールから一週間、特にラジエーションの効果がはっきりと現れて、出血や痛みが続き少し難儀をしています。椅子やカウチに座るのが困難で、寝ているか、立っているかという状況が続いていましたが、本日それが少し和らいで楽になってきました。
 座れないとできないことが沢山あります。食事をすること、排便をすること、メールを確認すること、ブログを更新すること、本を読むこと、礼拝の準備をすること・・・。短時間なら我慢できても・・・。集中力は途切れ、途切れ・・・。
 この数日、そんな座れない、集中できない苛立ちがありました。集中できないのに集中しようと頑張っている自分がいます。病気治療中で頑張らないと心に決めても、次の礼拝はどのように進めて何を伝えましょうかと思えば、やはり苛立ちが出てきます。
 しかし、どうしても座れないで集中できないなら、降参して「寝ていましょう!」と腹をくくりました。ずっと寝ているのも簡単ではありませんが、とにかく寝ていましょう。すると真夜中、夢の中のようでもあり、目覚めているようでもある中、「あなたの準備が何一つできていなくても、礼拝は礼拝。皆が霊とまことをもってささげるのが礼拝。」と心に響いてくるのです。早い話が、牧師である私に何もするなという話しです。その後、座って集中して準備できなかった礼拝の説教もその他のことも頭の中で整理されてくるのです。私は寝ているようなのに・・・。
 困難は乗り越えようとすれば大変だが、頭を下げればくぐり抜けられる・・・、という主旨のことを聞いたことがあります。座って集中して頑張ってでは痛みが増して前に進まないことも、降参して力を抜いて寝てしまうと不思議に道が開けて前に進めるのですね。
 座れなければ、寝ていましょう!