とおきくにや・聖歌397

1−遠き国や 海のはて いずこに住む 民も見よ
  慰めもて 変わらざる 主の十字架は 輝けり
(おりかえし)
慰めもて ながために 慰めもて わがために
ゆれ動く 地に立ちて なお十字架は 輝けり


2−水は溢れ 火はもえて 死は手拡げ まつ間にも
  慰めもて 変わらざる 主の十字架は 輝けり


3−仰ぎみれば など恐れん 憂いあらず 罪も消ゆ
  慰めもて 変わらざる 主の十字架は 輝けり

 1923年9月1日午前11時58分、相模湾北部を震源とする巨大地震が関東地方一帯・静岡・山梨の広範囲を襲いました。M7.9、死者105,000人、行方不明37,800人、全壊家屋128,000戸、全焼家屋447,000戸。関東大震災です。その被害総額は、当時の55〜60億円にものぼりました、これは国家予算の1年4ヶ月分にあたったと言われています。
 戦後最大の被害をもたらし、記憶にも新しい95年の阪神・淡路大震災はM7.2、死者6,372人でした。亡くなった方の数だけでも、関東大震災が想像を絶する悲惨な災害であったことがわかります。地震の規模も大きかったことに加えて、お昼時だったので、台所で調理中の家庭が多かったことが重なり、倒壊した家々から出火、瞬く間に火の手が広がりました。このため、火事による死傷者が増大し、最終的に死者行方不明者が14万人という途方もない数になってしまったのでした。
 今月の聖歌「とおきくにや」は、この大震災の夜に作られました。作詞・作曲をしたJ.V.Martinは、大阪市立高等商業学校(現 市立大学)の英語講師として大阪に住んでいました。
 この日たまたま東京に来ていた彼は、被災者を見舞うために、芝白金の明治学院のグランドへ向かいました。夕闇せまるグランドには大勢の人たちが、肩を寄せ合うように集まっていました。数は十分ではなかったでしょうが、グランドで夜を過ごすために、蚊帳(かや)と、ろうそくが支給されました。
 9月になったばかりで、まだまだ残暑が厳しい時期、しかも、まだあちらこちらで火がくすぶり、時折襲ってくる余震に怯えながら、愛する家族を、帰る家を失い途方にくれた人々からは、すすり泣く声しか聞こえてこなかったでしょう。
 Martin自身、深い悲しみの思いを抱いて、瓦礫と化した街を通りながら、その絶望と悲しみに包まれたグランドに近づいて行きました。その彼の目に飛び込んできたのは、暗闇の中に浮かぶ十字架でした。
 もちろん、それは本当の十字架ではなく、蚊帳の中で灯されたろうそくの光でした。でも、彼にはそれが絶望の闇に光り輝く十字架に見えたのです。 Martinはその場でペンをとり、すぐにこの詩を書きしるし、大阪に戻って、曲をつけ完成させたのでした。
(2004年9月 “サンビ・De・ナイト” 佐々木静 (NCM2元メンバー) の証しから抜粋したブログより抜粋)

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 久米小百合「さゆりちゃん」は、彼女の方が年は若いですが、レコード会社も事務所も同じだったスクエア時代からの音楽同期生、ミリオンセラー「異邦人」の元久保田早紀。さらに、ご主人の久米大作「だいちゃん」はスクエア同窓生で、まったく別ルートでそれぞれがクリスチャンになったという不思議な繋がり( New CD「聖霊の風が」で二曲、キーボード弾いてくれました )。
 久米小百合さんのアルバム「はじめの日」の一曲目に収録されているのが、この聖歌「とおきくにや」(M隊長もテナー歌ってます)です。
 詞を味わいながらこの曲を聞くと、この数日見続けている日本の大災害のニュースとオーバーラップします。そして、祈りに導かれます。 となりのユウジ
 → ここから、「とおきくにや」(久米小百合/はじめの日)を試聴することができます。