被災教会からの祈りの要請


 現在渦中の福島第一原子力発電所の避難地域にある教会、福島第一聖書バプテスト教会は、15年以上も前でしたが、私たちがチャペルコンサートで招かれたことのある教会。その時には海沿いの宿舎に泊まりました。きっと原発の近くだったのではないでしょうか?
 下にあるのは、その福島第一聖書バプテスト教会の牧師・佐藤彰先生が所属教団である保守バプテスト同盟の諸教会や牧師先生に宛てた祈りの要請メールの抜粋。被災教会の現状を知り、具体的な祈りのため、緊急ですので直接の承諾なしで掲載させていただきます。

・・・前略・・・
 3月11日の震災の時、私は東京キリスト教大学の卒業式に出席のために千葉におりました。その後、道路状況やガソリンの給油が難しいことなどから、今、引き続き、千葉におり、被災した教会員と、佐藤将司副牧師と連絡を取り合い、安否を確認しているところです。
 三重の被害に遭いました。地震で、ある教会員の家は半壊し、海沿いに住む教会員の家族たちといまだに連絡がとれません。JRの富岡駅は津波で流され、町は壊滅的状態です。そして、ご存じのように、福島第一原子力発電所の事故が起こりました。強制的に全住民の避難が命じられ、教会員は着の身着のままバスに乗り、あちらこちらの小学校、中学校、体育館等々に分散して行きました。なかなか連絡はとれないものの、必ずしも当初毛布が全員に行き渡らず、寒さの中で一睡もできずに過ごした人もいました。一日中水もパンも届かなかった避難所もあったようです。心配なのは、肺炎のため入院していた末永兄弟は95歳にもかかわらず、病院から強制避難し、過ごしております。そのほか骨折中の方、透析の必要のある方、小さい子どもを抱えている方、障害のある子どもさんを連れている方など、心に浮かんできます。
 その後、配給は朝昼晩おにぎり一個ずつ配られるようになったとの報告も受けています。ただ、疲労もたまり、病身の方とお年を召した方のことが心配です。ぜひ守られるように熱くお祈りください。
 加えて、最もお願いしたいことは、放射線の漏れがこれ以上ないようにお祈りください。最悪を考えると、家や町に戻ることもできずに、もちろん教会も閉鎖となり、宣教の歴史も今回の震災までで終わりとなってしまいます。再び町に人々が戻り、教会の門が開かれ、賛美と礼拝がささげられるように、どうかお祈りのご支援をお願いします。
 本日3月13日の礼拝はもちろん、立ち入り禁止のゴーストタウンなので、予定されていた洗礼式も婚約式もすべてがなくなりました。果たして教会員の流浪の旅がいつまで続くのか、想像すると暗澹たる気持ちにもなりますが、大自然をおさめる全能の主が歴史の主として新たな宣教の1ページを導いてくださることを信じ、告白いたします。
 ・・・中略・・・
 繰り返しになりますが、どうか教会の活動がピリオドを打ち、宣教の働きがストップしてしまうことのないように、再びよみがえるように、放射能がとどめられるように、熱くお祈りを、緊急のお祈りを、祈りの結集をなにとぞよろしくお願いします。
 2011年3月13日    佐藤 彰


追記)本日、午後1時半からハワイの日本語教会に同刻祈祷(同じ時間に祈る)の呼びかけがあり、私たちも、真珠湾を望む丘の上のパールシティ第一バプテスト教会(石渡敬子牧師)で祈りをともにしました。何人かの英語の方も中国語の方も合流して、真剣に日本のために祈る、熱い祈りの輪となりました。