避難生活報告

 3月13日ブログ「被災教会からの祈りの要請」の福島第一聖書バプテスト教会の牧師・佐藤彰先生からの第二信の転送を受け取りました。続報であり、避難生活の生の声ですので掲載いたします。祈ります!

避難生活報告    
 お祈り感謝します。昨日、3月15日の真夜中1時、救済物資満載のトラックとともに、近隣の店に立ち寄り、棚にあるものを手当たり次第に買い込んで、トランクと後部座席をいっぱいにし、私たち夫婦は一路福島へと北上しました。途中、道路の陥没と家の一部崩壊を目にするも、思ったよりスムーズに移動しましたが、テレビのニュースで原子力発電所の再爆発と放射能漏れ、加えて避難区域の拡大や現地に近づかないよう等の情報を耳にし、迷いながらも内陸路を選択。会津の避難所(教会)に午前11時に、10時間かかって無事到着しました。ハレルヤ
 約60名の教会員のうち、三分の一は福島第一原子力発電所近くから来たということで、まだ被ばく検査が終わらず、午後になって合流。早速礼拝のときをもつと、すすり泣く声が聞こえ、それぞれよほどのところを通ってここに着いたのだ、と実感しました。夜は近くの温泉に行き、5日ぶりに風呂に入れる喜びを体験。会津教会の心づくしに感激。いちいち感動にふるえ、あちこちで「生きてたの」と声を掛け抱き合う姿を見て、また涙腺がゆるんでしまいました。
 とはいえ、ジプシーのような流浪の旅はまだ始まったばかりで、家もなく、着の身着のまま出てきた人たちに「洗濯の必要はありますか」と聞くと、「洗濯するものがありません」との答えに、返すことばが見当たりません。聞けば3日間飲まず食わずにいた人あり、寒さに凍えて過ごした人もいるようです。とはいえ、漂流生活はまだ始まったばかりで、まずはガソリンの確保と次の生きる場所の確保が急務です。60人の大所帯が一同に会し、共同生活をするとなると、ただでさえ国家緊急事態の中、判断が難しく、結局、山形に北上し長期戦を見込んで、体制を整えることとしました。疲れのせいか病院に駆け込み点滴を受ける人あり、高齢者から小さな子供まで、それこそかみの大家族として、出エジプトのように故郷脱出のあと、荒野を旅することになりそうです。果たして私たちがあの町に戻れるのか、廃墟となるのか、2〜3か月で帰れるのか、いつなのか、教会や家の扉を開く日が来るのかどうか、すべてが漂流しているようで、手探りの中、力を合わせ、火の柱雲の柱に誘われて、旅するほかないでしょう。
 昨日は警察の方が私の車を特別災害用車両と認定し、ガソリンを供給してくれました。明日からは米沢の教会が大きな犠牲を払い、私たちを受け入れてくださいます。今は人々のいつくしみや思いやりに感謝し、甘えて生き延びるほかありません。まるで映画の一場面のようなドラマの人生を、まさか自分が体験するとは、思ってもいませんでした。主よ、漂流をはじめたこの群れと、各地に散っているレムナント(残された民)をあなたのひとみのようにお守りください。
 
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地をつくられた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方、主はあなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月があなたを打つことはない。主は、すべての災いから、あなたを守り、あなたの命を守られる。主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」詩編121篇


追記)福島第一聖書バプテスト教会のページに近況報告がアップされました。