違和感?

 違和感を覚えるという言葉があります。身体の状態や心の状態や人と人との関係や色々なところで使われる違和感。辞書的には、しっくりとしない感じをいうのでしょうか?
 2008年12月に直腸癌が判明する半年以上前から、私は自分の身体に違和感と言える初期症状を感じていました。しかし、それが癌とは想像せず発見は遅れました。もっと身体の違和感に敏感な方が良かったというのは後でわかったこと。
 ミュージシャンに成りたての二十代の頃、勿論、新幹線はありましたが、在来線での移動も多く10日間以上もコンサートツアーが続くこともありました。国内線飛行機もまだプロペラ機があったかな…。とにかく、新幹線での移動より、特急ぐらいの在来線の方が時間はかかっても身体は楽だったことを覚えています。新幹線やジェット機のスピードに身体が違和感を覚えていたと言えます。今はスピードにも慣れましたが、やはり、新幹線やジェット機の速度は通常の人間の感覚には大変に不自然ではないかと思います。
 最近は音楽をコンピューターで作れます。生で演奏するのと違いどんな風にでもアレンジできて音を重ねて面白い音楽ができます。しかし、自分の手で生で演奏してみると違和感がある、なんてことも多いのです。音楽というのも在来線特急ぐらいの感じが良くて、あまり最先端で凄いというのに違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
 私は三十才の時にクリスチャンとなり、三十三才で東京聖書学院という聖書を学ぶ学校に入ったとき、まだクリスチャン歴も短く、全寮制学校で勉強を始めたことは、ミュージシャンとして生活していた私には違和感だらけの世界でした。でもそれが、えらく新鮮・・・。
 四十才を過ぎて、米国ハワイでの生活は、右と左が逆転したほどに違和感だらけだったと言えるでしょうか(それも新鮮で面白かった・・・)。そして、日本では当たり前と思っていたこと、考えていたことを見直す良いチャンスでした。違和感の中だからこそ、日本を客観的に見ることができたかもしれません。
 最近、違和感というものをもう少し大切にした方が良いかなと個人的に思っています。いくら便利になっても、早くなっても、他人から良いと言われても、わがままではなく違和感があったら立ち止まり、しっかりと確認したらいいですね。

追記)今まであまりにも原発のことを知りませんでしたが、知れば知るほど違和感を覚えますね。すでに、違和感以上のこんなに大きな大きな事故になってしまったのですから、皆さんが持つ違和感を大切にすり合わせるべきですね。