長丁場…

 先週末はイベントと小競り合いが同時に来たようでしたが、それなりにイベントをこなし、小競り合いもゆっくりと過ぎ越しています。しかし、いつまで小競り合いが続くのかななどと思い、こんな川柳が頭をよぎります。 「小競り合い、長丁場なれば、なんと言う?」 長丁場になったら、小競り合いとは言い難いけど、本競り合いとも言い難いし…。


 3.11大地震と大津波から三週間以上が経過、被災地では自殺者が増え、「頑張れ」の言葉は辛いと耳に入ります。すでに、長丁場になっている被災地で、さらに長丁場以上に先が見えないのが実情のようで、私の体調の小競り合いどころの話ではありません。
「私達は、概ね元気です。みんな前を向いています。
  がんばろうと声をかけあっています。
  いるのですが‥‥正直言って、疲れてきました
  ・・・・・
  私達は前向きであり続けることに疲れてきました。
  糸井さんなら、どうしますか?」
 と、宮城県の地方公務員からのメールが糸井重里さんのホームページに掲載されていました。糸井さんは、「愚痴を言う、聞く」そして「慰め」という二つのポイントを答えています。そして、「慰め」の核にあるのは「信」だと提示。さらに、「信」は「人の言」とも付け加えています。まったく、分かりやすく糸井さんならではの表現だと…。
 私自身の長丁場も人の祈りや励ましに助けられ、いつも隣に寄り添ってくれている智恵子にどれだけ助けられたでしょうか。しかし、長丁場とは耐え難いものであり、それらをも破壊する力があります。人と人との「信」は当然必要です、さらに今の日本にはそれを越えた「信」である神が必要です。